完全ワイヤレスイヤフォン(1)

とうとう、こわれたというかあんまり調子がよくなかったこといして、完全ワイヤレスイヤフォンなるものを買い替えました。
いままで使っていたのは、3コインズで買ったやつです。買った当時は、コードレスすげーって思っていたし。一度コードレスに慣れてしまうと戻れないなという感覚はできました。
しかも、おとも思ったほど悪くない。3年使ったコードありのいやーポッドぐらいの音質で聞けます(どんなだ?)。ようは、気にならないってことです。
もちろん、使っているうちに嫌なところもわかってきて、それは聞いている音楽が途切れることがあるってことなんだけど、それはまあ、そういうものかなと思っていました。
途切れる条件はいくつかあって、
1 電子レンジをつかうと切れる
2 電車が高速で自分の前を通過すると切れる
3 自分のワイヤレスイヤフォンより強いやつが現れると切れる
4 なんかよくわからないけど、ある家の前を通ると切れる
5 自動車が家の前を通ると切れる(ときがある)
みたいな感じです。
でも、1500円(税抜)だからこんなものかなと思ってました。

つい最近、Amazonで見つけたんです。NOKIA製の完全ワイヤレスイヤフォン。

内蔵ハードディスクが死んでいます

内蔵ハードディスクが死んでいますが、どーしても、再起動するとそこから起動したくなるらしく、再起動すると半日以上Macが使えなくなります。
一体どうしたもんかとおもいますが、とりあえず再起動しなければ使えるわけで、どうしても再起動したいときはoptionキーを押しっぱなしで、起動ディスクを必ず選択するようにしないとだめだな。

言語の寿命

おそらく、言語もツール(道具)なので、いつか寿命をむかえるんだとおもうのだが。それはいったいいつなのだろうか。
気になるのは、日本語の寿命だ。

進化心理学から考えるホモサピエンス

進化心理学から考えるホモサピエンス:アラン・S・ミラー、サトシ・カナザワ、伊藤和子訳 を読む
進化心理学の考え方をQ&Aで読むことができる。
自然淘汰と性淘汰は別のものである。という考え方があるということを知った。これまで、性淘汰という言葉を知らなかったので、読んだタイミングでも性淘汰は自然淘汰の一部だと考えていた。
ダーウィンの書いた、人間の進化と性淘汰という本が読みたくなった。

胎児のはなし:最相葉月 増﨑英明

胎児のはなし:最相葉月 増﨑英明を読む。
印象的だったのは、
1.父親の遺伝子が胎児を介して母親へも入り込んでいると考えられるいうこと。
2.母親単体でも胎児ができる可能性がゼロでないということ(死産するパターンがほとんど)
の2点です。

iPhoneのヘルスケアについて

iPhoneのヘルスケアにヘッドホン音量という項目がある。
よくみていたんだけど・・・。

最近利用しているワイヤレスイヤホンには対応していなかったことを知ってめちゃくちゃ残念な気がした。
なんで、気がついたかというと、最新のデータの日付が10月だったから。健康に音を聞いていると思っていたのが勘違いということに気づいて本当に残念でした。

再起動してはならぬ!

SSDを起動ディスクにしてから、快適なiMac late 2012 です。
そんな、iMacですが一つ困ったことがあります。
それは、再起動すると立ち上がらない。デス。

理由はおそらく内蔵ハードディスクが完全に壊れているわけではなく、まれに認識されることが原因と推測します。

再起動→内蔵ハードディスク認識→どっちで起動していいわからず、グレーの画面のまま→1時間経過→???

みたいな感じです。
内蔵ディスクが認識されてないときは、2分ぐらいで再起動できるんだけれど、なんかの拍子に、「オレマダイケル」的な信号を出すときがあり(←推測)、そうするとオレマダイケルに引っ張られて、1時間2時間いつまでもグレーのまんま。

■再起動する前にすること
起動ディスクをチェックする。OSが入ったSSDが選択されてることをチェックする。
これをやったからといって、100%再起動が成功するとは限らないことがわかった。

altキーを押して起動する
もう、起動ディスクをMacのシステム側にまかせるのはやめ、altキーを押して起動し起動するディスクを選択して起動する。
↑今日はこれやったにも関わらず、再起動しないといけなかった。5回ぐらい再起動した。
今回は、再起動したあとにBluetoothを認識しないという残念が状況が発生し、有線キーボードを接続し再起動して・・・。かなり不毛な時間を過ごしました。

■結論
再起動するのは本当に最後の手段として、何もなければ再起動しない。もうこれしかない。使い続けるためには。これしかない。

書かないと忘れる、書けば忘れても思い出せる、思い出せば(見直せば)考えを深められる(たぶん)

忘れる
もう本当に、書かないとどんどん忘れていく。少なくとも書いておけば、後で文字をフックにして、記憶を呼び戻すことができるかもしれないけれど。
書かなければ、もう完全にブラックホールに吸い込まれた如く何も思い出せない。だから書かなければいけない。

書いておくことの意味
つまりは、書くことで同じことを何度も考えなくなるということである。人の思考の80%だか90%は前日と同じことを考えているという話もあるぐらいで。そうするといいひらめきじゃん。と思ったことも、実際にはすでに何度もひらめいていて、自分が覚えていなかっただけ、なんてことが起こりそう。そしてそれは、十中八九起こってる。だから、書いておいて、それを見直し、そこからもう一度考えるのだ。

考えを深める
同じことは何度考えても、同じことだけれど。一度考えたことから、再度考えを巡らせていくと、一段深いところへ行けることもある。もちろんいけないこともある。それはその時時の体調とか運とかあると思うけれど、すくなくとも同じところをぐるぐる回っているような状況にはならない。放っておいたら、ぐるぐる同じところを80〜90%の確率でぐるぐるまわっている可能性があるのだから、書いて見直すってことは、簡単に安価に考えを深めることにつながっている。
そもそも書いたことをわすれてる場合もあるので、書くときには各場所も考えないといけない。この間、10年ぐらい前に書いた仕事のリストが出てきて、なんじゃこりゃと思いましたが、この仕事リスト今でも使えるきがするので、そういう意味では事務システムってそんなに刷新されて行かないのだと感じました。

一箇所に書く
メモ帳とか、iPhoneとか場所を決めて一箇所に情報を集めたほうが良さそうだ。手当たりしだいに書いていると、たしかに書いたことわ覚えてるのだけれどあれってなんだっけみたいになって、結局思い出せないという事態が起きる。探したくなるし、そうなると探す時間がもったいない。

静かなmac

SSDにディスクを変えてから、macから音がしなくなった。
ファンも回らない、ディスクを読むコリコリって音もしない。
するのは自分がタイプするタイプ音ばかり。

とても静かなので、ついていることを忘れます。

Macの内臓ハードディスクが壊れました

使用しているMacのハードディスクが壊れて対応した時の話。

結局のところ、内蔵ハーディスクは寿命で復活もしなければサルベージもできなかった。
TimeMachine でのバックアップをしておけばよかったと心底思った。


ハードディスクには寿命があり、その寿命がくれば壊れる(←あたりまえだけどあんまり意識してない)。

やったことは以下の6つ
1 USBメモリに保存していたヨセミテで起動
2 ヨセミテをSanDiskのSSDへ複製(ディスクユーティリティを使用)
3 SSDに複製したヨセミテから起動
4 アップルのページからCatalinaをダウンロード
5 CatalinaをSSDの別パーティションへインストール
6 フリーズするが、再起動してインストール完了を確認

■だめだったこと
128GBのUSBメモリにOSをインストールして起動しようと考え、10回ほど試した。
OSのインストールはなんとか終わるのだが、その後起動しない。USBメモリの読み書きが遅すぎるため時間がかかっているのだと思われる。
根拠は、手持ちのUSBメモリで唯一起動するヨセミテのホームディレクトリを、購入した128GBのUSBメモリ内へ変更したところ、起動しなくなった。
USBメモリは2つ刺さっているのに。そのあとホームディレクトリに指定した方を一旦抜いてログイン画面まで表示したタイミングで改めて挿し直し、ログインできた。ログイン後ホームディレクトリを元に戻してやっと終了。

■そういえば、起動しなくなる兆候ってあるのか
1 OSの起動が著しく遅くなる
2 異音がする
3 起動しても全体の動きが遅い
これらを感じたら、別のディスクを用意して、そちらにデータを移動した方がよい。いまや2Tのドライブが5000円台(5000円は高いけど、その後にかかる時間を考えた場合、相対的に安いと言えるのではないでしょうか)とかとんでもない安い値段で売られているので、ディスクを直そうとするよりも、不調を感じたタイミングでデータをバックアップして、そのディスクとは関わらないようにしないと、思わぬ時間を取られることになる。

3月の末ごろに異常を感じて結局使い始められるようになったのはいまだから、3週間近くインストールを繰り返し行っていたことになる。めちゃ無駄時間だよ。その間ネットはすべて携帯で閲覧。

特に「1」はMojaveのインストールを試みたあたりからずぅーと遅かったので(再起動時30分以上かかって起動するという恐ろしい仕様)、もう慣れっこになってしまっていて、余計良くなかった。